しあさっての夢を見る

気がつくと虚無を探しながら歩いている。

星座と言葉と結ぶ指。

人が知っている星座の数の平均は幾つになるんだろう。例えばお茶請け代わりの雑談のネタにするとして、朝の情報番組で挙げられる12星座。その程度なら名前くらいは答えられる、といったところだろうか。

この記事をたまたま目にしたあなたは、実際に自身の星座が空のどこにあるのか指させるだろうか。因みに自分は分からない。思い出せない。調べた事も有ったけれど、それが春夏秋冬いつの夜空についてだったか、自分がどちらの方角を眺めていたのか。それすら判然としない。

 

空はただでさえ途方も無い広さで世界を覆う。

指の一本で示してもらうには遠過ぎる。

教えを請いながら探すとしても、この目は割合ポンコツで、つい見つかったフリをしてしまいそうになるばかりだ。どうにも申し訳なく思う。節穴とすぐバレる嘘が猛烈に恥ずかしい。

それだから月まで届くような指示棒が開発された時には真っ先に購入しようと思っている。

自分の筋力で持てますように。Amazonで取り扱われますように。星座盤と、星見のお供に美味しくてやたらお洒落な紅茶も同梱できますように。流れ星を発見したら、頼んでみようと目論んでいる。

 

 

さて。こんな自分でも、自信を持って言えるものが一応はある。北斗七星とオリオン、カシオペア。そのみっつだけ。

いつの季節であれ、夜空を見上げてはあれは何座だよと呟けるひとへの憧れが心に在る。

数がどうこうという訳ではない。自分が知らないもの、自分の目では探しにくいもの。それを簡単に探し出せる(ように見える)眼球の精度と、個人的に浪漫の象徴と捉えている星座のかたちが脳味噌に行儀良く収まっている事。空の途方もない広さを良い塩梅の縮尺に直し把握している事。そういうところに、憧れている。

 

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実家の自室。天井は人工の星空になっている。数年前の改装時、自分の意見が取り入れられた数少ないポイントだった。

※ただし裸眼では靄が掛かったようにしか見えない。

バケツ一杯に入れた砂を思い切り水面にぶちまけた具合で散りばめられた蓄光素材製の星々は、昼間にそっと含んでいた光を、明かりを落とした部屋の中で一斉に吐き出す。戯れに星座を探してみた事も有った。当然何も、見つからなかった。

もしかすると、これは架空の星空なのではなかろうか。少し言い訳がましいけれど。北斗七星も、オリオンも、カシオペアも存在しない。そういう星空。今この世に在る星座盤など、無用の長物に成り下がる空。自分に星座を教えてくれたひとの指先ですら迷う空、なのかもしれない。

 

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何かにつけ、頭の中にふと言葉が降りてくる(もしくは落ちてくる)事がある。微かでも生活に紐付くもの、現状の「げ」の字も無いもの。忘れているだけで、思い出せないだけで、いつかの自分が脳味噌の底のほうにしまい込んでいたもの。押し込んでいたもの。も、あるかもしれない。

出所は定まらないけれど、どの言葉であれ自分の中では「降りてくる」「落ちてくる」という表現がしっくり来る。

乱脈な言葉たちをメモに書き留めるなりしておくと、不思議な事にそれがするすると伸び広がって、ひとつの文章らしく収束していくという経験を幾度かした。かけらのままであれ、置いておけば幼い日に夢中で集めた川辺の硝子片を眺めているような気になった。偶に妙ちきりんな魚や汚い空き缶なども混じっていた気はするが。ともかく稀に、それらをひとにも覗いてもらう機会があり、楽しんでもらったり、喜んでもらったりした事もあった。とても嬉しかった。そうして、楽しかった。


けれどここ数年、そんな感情を待てる日が、随分と減った。

何も下りて来ない。落ちて来ない。

ものを書く事で食べている身でないにしろ、気付けば当たり前になっていた行為が遠のいていると思い至った時、自分の大切なところが呆気なく損なわれたようで、ひどく気が塞いだ。「当たり前」が薄れゆく感覚は、自分の存在をより薄っぺらなものに押し潰した。ついでに千切られた気もする。こういうのはタチが悪い。救急箱の薬と絆創膏では太刀打ち出来ない。精々、医者が投げた匙でアイスクリームを掬い、気を紛らわすくらいが関の山である。

 

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潰れたり潰されたり、「どうせなんで」「ついでですから」と千切られたりしながら毎日を過ごした。

そうして先日、数ヶ月にわたってあまり寄り付かなかった実家に、暫く戻る機会があった。部屋の主の不在も関わりなく、人工の星空は変わらずそこに在る。月まで届く指示棒が無くともなんとか届きそうな高さで、そこに在る。

ある晩。眠る間際に眼鏡を外し忘れて天井を見上げていたら「きれいだなあ」と、口が勝手に零していた。平べったい自分が、少しだけ膨らんだような、やわらかくなったような心地がした。

小さな空に、みっつの星座はやはり見つからない。てんでばらばらにぶちまけられた、自分の為の星々。数年前から増えも減りもしないそれらの間には、生憎と流れ星も通らない。

 

けれどいつかそこに、自分が名付けたくなるような星の連なりがあった事を知るのかもしれない。その頃にはきっと、自分はもう少し膨らんでいるのだろうと思う。

勝手気ままに星座を紡げるようになったなら、流れ星の代わりに、川辺の硝子のような言葉が落ちてくる気がする。それを並べて、まずはひとつだけ適当な星座盤でも作れたら嬉しい。

たったひとつの空に向けて、自分だけが使い方を知る星座盤が生まれる日が来るなら、月まで届く指示棒は我慢するべきかもしれない。節穴が恥ずかしいと密やかに悶えながら、途方もなく広い夜空の星座の在り処を、大人しく聞かせてもらおう。と、自分本位な願いはここに置いて。

 

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かつて自分の言葉で喜んでくれたひと達に、またそんなふうにして、報いたい。報いれる自分になりたい。いつかの日までそのひと達と、長らく縁を持てる自分であるようにありたい。

 

やはり、美味しい紅茶だけは買っておく事にしよう。それを飲みながら医者の匙でアイスを食べて、自分にしか見えない星座の話が出来る日へと、歩いたり這いずったり、ひととの縁を大切にする方法を少しでも身につけて蠢きながら生きて行けたら良いと思う。

 

新たな都市伝説になってしまうほうが早いかもしれないけれど。まあ。そんなところで、お休みなさい。